検見川聖書バプテスト教会
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  四つの土壌のたとえ  

2007年3月4日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書13章1〜9節、18〜23節

[1]その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。 [2]すると、大ぜいの群集がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群集はみな浜に立っていた。 [3]イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 [4]蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。 [5]また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 [6]しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 [7]また、別の種がいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 [8]別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。 [9]耳のある者は聞きなさい。」

[18]ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。 [19]御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。 道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。 [20]また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。 [21]しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまづいてしまいます。 [22]また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。 [23]ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

説教要旨

イエス様は人々に話をされる時、難解な真理をわかりやすく伝えるために、「放蕩息子のたとえ」(ルカ15章)、「良きサマリヤ人のたとえ」(ルカ10章)などの「たとえ話」を度々用いられました。今日の、「四つの土壌のたとえ(もしくは「種蒔きのたとえ」)」も代表的なたとえ話の一つです。このたとえでは、種が落ちた四つの土壌を例にあげ、イエス様の同じメッセージを聞いても、なぜある人々は信じ、他の人々はそうではないのか、という点が明らかにされています。

最初の土壌は「道端」(4節)です。「道端」とは、田んぼや畑のあぜ道のように、踏み固められた土地のことです。この土壌が示しているのは、偏見や誇り、不道徳な性格、自分の考え方によって踏み固められてしまった人の心です。踏み固められた土地に種が蒔かれても根を張る余地がないように、神様のメッセージを聞いても「道端」の心の人は、基本的にはねのけてしまうので、あとに何も残らないのです。聖書の人物では、パリサイ人たちが当てはまります。

二番目の土壌は「岩地」(5節)です。「岩地」とは、小石がいっぱい混ざっているような土地のことではなく、岩の層の上に土が薄くかぶさっている土地のことです。この土壌が示しているのは、根を張れない土壌の層、すなわち感情に支配されている人の心です。このような人は、最初「すぐに喜んで受け入れる」(20節)のですが、「困難や迫害」(21節)等、自分の都合が悪くなると、すぐに手の平を返してしまうのです。聖書の人物では、群集たちがそれです。

三番目の土壌は「いばらの中」(7節)です。「いばらの中」とは、雑草が生えている土地のことではなく、見かけはきれいになっているが、雑草の根が残っている土地のことです。この土壌が示しているのは、うわべを取り繕う心です。農夫が種を蒔いているときには、その土地には何も生えてないように見えるのですが、土の中には成長力旺盛ないばら(雑草)の根が待ち構えている状態です。すなわち、表面的にはキリスト者らしい敬虔さを装っていても、「この世の心づかいと富の惑わし」(22節)という根(欲望)が待ち構えているので、神様のメッセージという種が蒔かれても、信仰が成長する前に息の根を止めてしまうのです。

最後の土壌は「良い地」(8節)です。「良い地」とは、保水性があり、水はけの良い土地のことです。この土壌が示しているのは、神様のことばをあるがままに受け入れる心です。このような心の持ち主は、種(御言葉)を受け入れるだけの柔らかい心を持ち、雑草の根(欲望)も残っていないので、神様のことばを素直に聴くことができます。ですから、真の神の存在を信じることと、その神の前に罪人であることを認めることができるのです。このような心の持ち主は、イエス・キリストを通して神との関係が修復されるので、その関係においてたくさんの祝福を受けるのです。イエス様はその関係によって結ぶ実(祝福の状態)を、「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」(8節)と数字で表すことで強調されておられます。

以上のことから、「四つの土壌のたとえ」において、私たちが問われていることは、私たちが神のことばという「種」に対して、どのような心の状態(土壌)であるか、ということです。あなたの心の土壌が、偏見や誇りに踏み固められてなく、また感情に支配されてもなく、欲望という根を残してない「良い地」であるならば幸いです。神の御言葉が根付く心は大きな祝福を受けるからです。

 
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