検見川聖書バプテスト教会
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  神を待ち望む人々―ヨセフ  

2006年12月17日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書1章18〜25節

[18]イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。 [19]夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。 [20]彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。 [21]マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 [22]このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。 [23]「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) [24]ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、 [25]そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

説教要旨

救い主の養父となったヨセフ。マタイの福音書冒頭の系図(1章)によれば、ダビデに続く名家の末裔に属する人物です。この人物について聖書にはわずかな記述しかありません。登場してもすぐに姿を消してしまうヨセフ(ルカ2章が最後)ですが、救い主誕生に当たっては彼にしか出来ない重要な役割を果たしています。その役割とは、マリヤの夫として実際には自分の子ではない子ども(イエス様)を自らの子として認知したことです。この箇所で著者マタイはどのような経緯で、イエス様がヨセフの子になったのかを明らかにしています。

まずヨセフには、マリヤの妊娠という衝撃的なニュースが知らされました。「まだいっしょにならないうちに・・・身重になったことがわかった」(18節)。むろんヨセフには全く身に覚えのないことでした。このニュースは、マリヤ本人から直接知らされたというよりも、マリヤに起こりつつあった身体的変化(妊娠)によって「わかった(「判明」を意味する語)」のです。マリヤ自身妊娠のことを、どのようにしてヨセフに伝えるべきか考えあぐねていたかもしれません。

この深刻な事態に対してヨセフはどのような態度をとったのでしょうか。彼は、マリヤを問い詰めに行ったり怒ったりしなかったようです。心の内にはたじろぎや思い悩みがあったにせよ、ヨセフは「正しい人」(19節)としてこの現実を正面から受け止め、ある決断をしたのです。「夫のヨセフは・・・去らせようと決めた。」(19節)。

この時のヨセフには二つの選択肢がありました。一つ目は、「彼女をさらし者に」(19節)することでした。旧約聖書の律法によれば、姦淫の罪は死刑に処せられたのです(申命記22章22〜24節)。ヨセフは、男としてプライドを傷つけられ、屈辱を味わったのですから、この選択をしても不思議ではありませんでした。しかし、彼は告発の権利があったにもかかわらず、この権利を用いなかったのです。彼が、「決めた」のは、マリヤに離婚状を与えて、「内密に去らせる」(19節)ことでした。このような場合でも彼女を思いやることができたのです。

ヨセフがこの寛大な決断をした直後、神は介入の手を伸ばされました。それは彼が自分のした決断が本当に正しかったのかどうか、「思い巡らしていた」(20節)ときでした。主の使いが夢に現れて、「ダビデの子ヨセフ」(20節)と呼びかけました。この呼びかけは、ダビデ王朝の継承者としてのヨセフの位置を自覚させるものでした。そして、「去らせようと決めた」マリヤを妻として「迎え」(20節)るようにと命じたばかりか、「胎に宿っているのは聖霊による」(20節)と、思いがけない事実を明らかにされたのです。目を覚ましたヨセフは、神の啓示(ことば)に従って早速行動を開始しました。「主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ」(24節)たのです。地上にお生まれになった救い主イエスがダビデの子としての歩みを安全にスタートできるよう、自らが受ける恥辱をも覚悟して万全の措置をとったのです。このヨセフもまた、「神を待ち望む人」でありました。

 
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