検見川聖書バプテスト教会
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  あなたを待っている主  

2006年12月3日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ヨハネの黙示録3章20節、ルカの福音書2章6〜7節

[20]見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

[6]ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、 [7]男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

説教要旨

クリスマス前の四週間は、「アドベント(待降節)」と呼ばれています。この言葉は、ラテン語のアドベントゥスという「到来」とか「到着」を意味する語から来ています。誰の「到来」を待ち望むのが、クリスマスなのでしょうか。それは人となられた神であるお方イエス・キリストです。このイエス・キリストの「到来」を私たちはどのような態度で迎えるべきでしょうか。

まず、キリストが地上に到来されたときのことを見てみましょう。キリストの到来(誕生)は全く迎える準備ができていない所でなされたのです(ルカ2章4〜7節)。それは、キリストが産まれた直後、「客間には彼らのいる余地がなかった」(7節/口語訳)ので、「飼葉おけ」(7節)に寝かされたという出来事から明らかです。

国や文化は違っても、人は大切な相手に対しては、歓迎の意志を伝えるために最大限の準備をして迎えます。しかし、残念なことですが、最も歓迎すべき方(キリスト)に対しては、迎え入れる準備が出来ていなかったのです。キリストがこの世に来訪した際には、最低限の場所しか用意できず、家畜同然の扱いをしてしまったのです。

現在、世界中の人によって盛大に祝われているクリスマスはこのようなかたちで始まったということを覚える必要があります。神に対して心を閉ざしてしまう人間の罪というものは、何と悲惨なことでしょうか。

このキリストは、今も「あなた」の頑なともいえる拒絶に耐えながら、あなたが心の戸を開けるのを待っておられます。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3章20節)。キリストは、堅く閉ざされたあなたの心の戸を開くように、内側からの応答を期待して、熱心にたたき続けておられるのです。キリストにとって、「あなた」は大切な存在だからこそ、あきらめないで待っていてくださるのです。

このキリストの愛と憐れみに豊む“呼びかけ”に気付くことを通して、また聖霊なる神の助けと導きによって、堅く閉ざされた心の戸を開き、キリストを内に迎え入れることが出来るようになるのです。そのような意味で、私たちは、「すべての人は『自分の心』という家の主人である。それは彼の要塞であるから、彼がその門を開かなければならない」(ドイツの神学者・宗教哲学者エルンスト・トレルチ)との言葉に心を留めるべきではないでしょうか。

アドベント(待降節)を始めるにあたって、主が戸をたたいておられる音、そして主が問いかけておられる声があることを覚えたいと思います。そして、主イエスに向かって、私たちの心の戸を開こうではありませんか。「主人が婚礼から帰って来て戸とたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。」(ルカ12章36節)

 
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