検見川聖書バプテスト教会
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  義に飢え渇く者の幸い  

2006年11月12日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書5章6節

[6]義に飢え乾いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。

説教要旨

四つ目の幸福の使信において、「義に飢え渇く者は幸いだ!」とイエス・キリストは言われます。私たちは普段様々なものに対して「飢え渇き」を持って生きています。「食」に飢え渇く人、「流行」や「娯楽」に飢え渇く人、「健康」に飢え渇く人、「異性」や「人の愛」に飢え渇く人など多種多様です。

このような「飢え渇き」は、精神面・物質面において自分自身の欠乏状態を自覚する場合に生じる心の欲求です。時として、「飢え渇き」には人生の目標を設定させ、人に生きる意欲を持たせる効果があります。何かに対して飢え渇く心こそが人の行動力の源だからです。しかし残念なことに、これらの「飢え渇き」は完全に満たされることはありません。この世の現状、私たちの直面している現実というものは、この事実を強烈に思い起こさせはしないでしょうか。果たして問題はどこに・・・。

イエス様は「義に飢え渇く者は幸いです。」(6節)とのことばを通して、私たちの「飢え渇き」が本来向けられるべき対象に向けられていない事実を思い起こさせようとしておられます。人は何かを求めるより前に、まず「義」に対して飢え渇く必要があるのです。「義」を意味するギリシャ語「ディカイオー」は、社会の不正を赦さないという場合の社会的正義のことではなく、神との間の正しい関係を意味することばです。

私たちにとって、友人、夫婦、職場の同僚など大切な存在との関係が壊れていたら、幸福でないのと同様に、私たちを生かし支えていてくださる神様と正しい関係にあることは絶対的な幸福の条件なのです。詩篇の作者は、神との正しい関係に対する「飢え渇き」は非常に強い危機意識の伴うものだと述べています。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいは、あなたを慕いあえぎます。」(詩篇42篇12節)。「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」(詩篇63篇1節)。

あなたは、神との関係に生きる者として、どのような「飢え渇き」を持っておられますか。鹿がいのちをかけて谷川の水を慕い求めるように、神と正しい関係にあることを切に慕い求めているでしょうか。もしそうでないならば、自分自身の心を点検する必要があると思います。日々デボーションを行えてないならば、あるいは主の日の礼拝を守ることの意義を見出せなくなっているならば、あなたの心を本来向けるべき対象に向け直す必要があるのです。如何でしょうか。

イエス様は、「義に飢え渇く者」すなわち、神との関係なしにはもう生きていけないと切望する者に対しては、その必要のすべてを豊かに満たしてくださると約束しています。イエス・キリストのみが私たちの渇ききった心の状態を良く知っておられ、何が必要なのかをご存知だからです。「わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネ6章35節)。何よりもまず神との正しい関係を築こうではありませんか!

 
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