検見川聖書バプテスト教会
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  柔和な者の幸い  

2006年10月29日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書5章5節

[5]柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。

説教要旨

現代は自分を誇示する時代です。多くの人は、強さと力、能力と自己確信という面が重要だと考え、様々な表現方法を用いて自分を主張します。その目的は、自分を周囲に認めてもらうため、または自分の望むもの(立場)を手に入れるためだと言えます。

そのような考えを持つ人々に対して、イエス・キリストは言われます。「柔和な者は幸いである。その人は地を相続するからである。」(5節)。ここにおいて、イエス様は世の常識と全く異なる考えを示されたのです。

一般的に考えられている「柔和」とは、「やさしくおだやかなこと(さま)」(スーパー大辞林)を意味します。このような特性を持つ人の多くは、人柄としては好感が持てても、自分を強く主張できるタイプではありません。しかし、イエス様がここで使われている「柔和」ということばには、一般的な意味と異なり、野生の馬が手綱(たづな)どおりに動くように訓練されているという意味があるのです。

イエス様は、自己主張が強くて自分をコントロールできない人ではなく、そのような自分を素直に認め、乗り手(神)に全てを明け渡した人、その支配に全く身を委ねた人のことを指して「柔和な者は幸いだ!」と言われているのです。

聖書には数々の「柔和な」人が登場しています。甥のロトが先に土地を選ぶのを許したアブラハム(創世記13章参照)や、最も信頼する人から非難されても一切弁解しなかったモーセ(民数記12章1〜3節参照)、さらに自分のいのちを狙うサウル王に対して、2度の機会があったにも関わらず自分で復讐しなかったダビデ(Tサムエル24章1〜7節参照)などです。これらの人たちは、優柔不断な人でもなければ、骨なしの人物でもなく、自分の未熟さに気付かない者の弱さを許容できる心の寛大さを備えていたのです。彼らは、謙虚さと自制力に富み、神様の御心が成ることを信じて、その遂行を決して妨げませんでした。

このような特性を備えている「柔和な者」こそが、来るべき神の国において、キリストと共に地を治める働きに加わるのだと主は約束しています。「その人は地を相続するからである。」(5節b)。何故そう言えるのでしょうか。

この神の国は自我に支配されて自己主張する人によって治められる国ではなく、神の支配に服し、神の御心を忠実に成す人によって治められる国だからです。本当の意味で、神に自分を明け渡すならば、人は謙虚にされ、自分を主張することから解放され、無益な力の使い方をしなくなるのです。それは、自分の生来の力によるものではなく、神との生きた交わりから生まれる内なる強さであります。

このようなイエス様のことばは、当時のユダヤ人たちに、大きな衝撃として臨んだに違いありません。ユダヤ人の考えでは、「柔和な者=地を受け継ぐ」という図式はなかったからです。イエス様はそのような人々の考えと著しい対照を示すことばによって、また自身が「柔和な者」として歩むことによって(ゼカリヤ9章9節参照)、真に神の祝福を受け継ぐのが誰かを明らかにされたのです。

 
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