検見川聖書バプテスト教会
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  この世の幸福観の中で  

2006年10月8日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:マタイの福音書5章3〜12節

[3]心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。 [4]悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。 [5]柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。 [6]義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。 [7]あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。 [8]心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 [9]平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。 [10]義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。 [11]わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 [12]喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。

説教要旨

イエス・キリストは救い主として活動をされる中で、この世の幸福を説く四つのグループを絶えず意識されていました。それはパリサイ人(四福音書中に84回登場)、サドカイ人、エッセネ派、熱心党(ヘロデ党)でした。例えばマタイの16章6節では、「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種(教えや偽善)には注意して気をつけなさい。」と警告されています。マルコ8章15節ではヘロデ党についても同様のことが言われています。これらは、それぞれ主張は異なりますが、当時のユダヤ社会に大きな影響力をもっていたグループだったのです。

イエス様は、「山上の説教」をされるに際しても、当然これらのグループを意識していたはずです。説教を聞く民衆の側も当然、これらのグループのことを念頭におきながらイエス様の語られることに耳を傾けていたのです。そのような意味で、これらのグループが幸福だと主張していたことを簡単に学んでみたいと思います。

まずパリサイ人です。彼らは法律家として、ユダヤ教の会堂で民衆に律法(旧約聖書)を教えていたのです。伝統の堅固な擁護者であった彼らは、伝統に戻ることが幸福だと主張したのです。どの国にも過去に立ち返ろうとする人は今も昔も多くいます。そして、これらのグループが権力を持つ多くの場合には、外面的な行為が強要され、信教の自由が脅かされるのです。

次にサドカイ人です。彼らは合理的に物事を考える世俗主義者でした。裕福な祭司階級に属し、宗教的・政治的な指導者でもありました。彼らはパリサイ人のように、古い伝統を現在の生活に適合させる必要はないと考え、幸福は現実を適度に楽しむことにあると主張したのです。“今を楽しもう!”とのスローガンのもと永遠の世界にではなく、現実の世界の楽しみに目を向けるように人々を導いたのです。

三番目のグループはエッセネ派です。彼らは禁欲主義者でした。聖書にはその名は出てきませんが、パリサイ派より排他的でさらに厳格に律法を解釈し、この世を離れて山や荒野に行き、欲望を否定しながら苦しみつつ生きるのが幸福だと主張したのです。このような思想は、現在でも多くの宗教に見られます。世の中に失望した人々は、彼らに導かれていくのです。

最後は、熱心党(ヘロデ党)です。この人々は熱狂的な愛国者で、他国民および他国の文化・伝統を自国より劣ったものとして排斥し、武力による政治的な革命に祝福があると主張したのです。

これら四つのグループは、時代が移り変わったとしても、いつでも私たちを導こうとしています。私たちに、“これこそが幸いだ”と盛んに呼びかけるのです。実にこの「山上の説教」において、イエス様が挑戦しようとしたのは、これらのグループが主張する幸福観だったのです。このような幸福観によって強く影響を受けていた民衆に対して、真の幸いとは何かを明らかにされたのです。

以上から私たちも、もっともらしく聞こえ、魅力的にすら思えてしまう「この世の幸福観」に流され惑わされないためにも、私たちの幸福観が、正しく御言葉に根ざしたものであるか確認する必要があるのではないでしょうか。そして、「この世の幸福観の中で」大胆に語られる主の御言葉に心から耳を傾けたいものです。

 
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