検見川聖書バプテスト教会
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  互いに受け入れあう交わり  

2006年7月30日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ローマ人への手紙15章1〜7節

[1]私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。 [2]私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。 [3]キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人人のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとおりです。 [4]昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。 [5]どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。 [6]それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。 [7]こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。

説教要旨

前回は第一ヨハネ1章1〜4節から「キリストを共有する交わり」というテーマで、教会における交わりにおいて何を共有するかということについてお話しました。今回のテーマは、交わりの動機についてです。

ローマ書は全部で16章ありますが、その内容は大きく二つに分かれています。前半の1〜11章までが教理について、後半の12章からが実践について記されています。そのなかで14章から15章13節までは「教会の一致」がテーマになっています。

この手紙の舞台となっているロ−マにおけるキリスト教は、複雑多彩な内容を持っており、文化や習俗に対する理解と態度は必ずしも同じではありませんでした。同じでない者たちがいったいどうしたら真の一致を保つことができるのか、その問題にパウロは答えようとしているのです。

パウロは、その問題解決の具体的提案として「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さを担うべきです」(1節)と勧めています。「力のある者」がいれば、当然「力のない者」がいるのが時代の常です。肉体的に丈夫な人と弱い人、精神的にしっかりしている人ともろい人、得意なことが多い人と苦手が多い人など。一般的にこのような関係の中では、弱さへの無理解がみられたり、互いに受け入れあうことが難しかったりするものです。パウロはこの対立する関係の中で「力のある者」に積極的な関わりを持つように勧めているのです。2節でパウロは真に「力のある者」とは、自分の満足を求めるのではなく“他人の弱さを支える人”また強さを押しつけるのではなく“相手を形成する人”だと言っているのです。

何故そのようにすべきかの理由は、3節“キリストが模範を示されたから”です。キリストの生涯は、自分の満足を求めない歩みでした。キリストは人となられるに際し、(1)神としての立場を捨てられ(ピリピ2章6〜8節)、その生涯において(2)様々な誘惑と試練にあわれ、最後には(3)命を私たちのために捧げられました(Tヨハネ3章16節)。3節には、詩篇69篇9節が引用されていますが、キリストは私たちのために、人々のあざけりとそしりを一身に引き受けてくださったのです。

このように、キリストが私たちを受け入れてくださったことによって、神との交わりを回復する道が開かれたのでした。ですから、私たちがこのキリストの模範に従って歩むとき、強い者・弱い者というような様々な相違が対立ではなく、「心を一つにし、声を合わせ・・・神をほめたたえる」(5節)信仰による一致に変えられるのではないでしょうか。そして、そのような交わりのあるところに、“神の栄光が現わされていく”のです。

神が「力のある者」には真実な方であり、「力のない者」には憐れみ深い方であることが、周りにいる人々に証されていくときに、私たちの交わりが周囲に受け入れられるようになるのです(使徒2章47節)。「こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。」ローマ15章7節

 
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