検見川聖書バプテスト教会
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  祝福と別れ、そして喜び  

2006年7月16日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ルカの福音書24章50〜53節

[50]それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。 [51]そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。 [52]彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、 [53]いつも宮にいて神をほめたたえた。

説教要旨

ルカ福音書最後の場面(エピローグ)は、“イエス・キリストの昇天”について記されています。ルカ24章では、よみがえりから昇天までの時間的経過ははぶかれているので、この章だけを読むと、まるでイエス様が復活した日のうちに、顕現も昇天も行われたような印象を受けます。しかし使徒(1章3節)によるならば、この出来事が実際に起こったのは復活後40日目なのです。著者ルカはこの出来事を意図的に「弟子との別れ」という面から描いています。

ところでルカ福音書の続編である『使徒の働き』の最初の場面(1章4〜9節)では、同じ出来事が「天に昇る」という面から描かれているのです。ということは、キリストの昇天という出来事は、「弟子との別れ」と「天に昇る」という二つの面から理解する必要があると言えるのです。

そのようなことを踏まえた上で、ルカの昇天記事について考えてみましょう。イエス様と弟子たちは、最後にどのような別れ方をしたのでしょうか。一言で言えば、両者の別れは、“最高の別れ”でした。(1)きちんとした別れの場「ベタニア」(50節)に導かれて、(2)正式な形の祝福を受け「手を上げて祝福された」(50節)→旧約における大祭司の祝福と同じ(参照レビ記9章22節)。さらに(3)惜しみない祝福を受けながら「祝福しながら・・・離れて」(51節)行かれたのです。

私たちの場合に当てはめて考えれば、理想的な別れ方と言えるのではないでしょうか。さらに付け加えられることは、イエス様と別れたあとの弟子たちの様子です。「彼らは、非常な喜びを抱いて・・・」(52節)。−「喜び」のことば〈英語「JOY」〉は、一般的な喜びを表現する“PLEASURE”や、喜びが言葉や表情に表れる“DELIGHT”よりもさらに大きな深い喜びの時に用いられる。用例「彼女は天にも昇る喜びで突然踊り出した」−さらに、この“JOY”が“GREAT(非常な)”によって形容されているのですから、彼らはイエス様とこの上なく良好な関係で別れることができたと言えるのです。

しかし、イエス様と弟子たちには、一度“最悪の別れ”をしたという忘れられない過去がありました。イエス様が十字架に架かられる前夜、彼らは師を見捨てて逃げ出すという失態をしていた(参照マルコ14章50節)のです。普通なら両者の間には、消すことのできない大きなわだかまりが残るとともに、互いに近づき合うことに拒否反応を示すので、元の関係に戻ることは不可能なはずです。

この壊れた関係が修復できたのは、弟子たちの側の努力によったのではなく、和解の主であるお方の愛と熱心によったのでした。イエス様は、復活の証人に任命した弟子たちが新たな歩み(続編『使徒の働き』における世界宣教の働き)を始めるにあたって、最善のスタートを切らせるために弟子たちとの関係の修復を図られたのです。「弟子との別れ」には、そのような主の深い御旨があったことを覚えることができるのです。神はご自身の計画の中で進められる出来事であるならば、私たちにも同様な最高の別れを与え、良いスタートを切らせてくださる方であります。この主の守りのうちに私たちの歩みが守られ、導かれていることを感謝しましょう。

 
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