検見川聖書バプテスト教会
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  大逆転  

2006年5月28日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ルカの福音書24章1〜11節

[1]週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。 [2]見ると、石が墓からわきにころがしてあった。 [3]はいって見ると、主イエスのからだはなかった。 [4]そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。 [5]恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。 [6]ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。 [7]人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」 [8]女たちはイエスのみことばを思い出した。 [9]そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。 [10]この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。 [11]ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。

説教要旨

世界の歴史に名を残すような偉大な人物であったとしても、その人の生涯は必ずその死で幕を閉じます。しかし、イエス・キリストの生涯はその死で終わりませんでした。聖書は葬られたイエス・キリストが復活したことを記しています。

このキリストの復活は、目撃者たちにどのように現わされ、どのようにして受け止められていったのでしょうか。最初の目撃者たちが、キリストの復活を全く期待していなかった様子を聖書は記しています。

まず婦人たち。彼女たちが早朝から墓に来た理由はイエス様の遺体を完全に埋葬する為でした。そして、彼女たちが期待していたのは、キリストの復活ではなく、“墓の入口をふさいでいる石をころがしてくれる人(マルコ16章3節)”でした。しかし、墓に着いた彼女たちを待っていたのは予期せぬ光景でした。いるはずの番兵もおらず、墓の入口をふさいでいた大きな石が、既にどけてあったのです。不思議に思いながらも、墓の中に入って見ると「主イエスのからだはなかった」(3節)のです。

そして、さらに驚くことに遭遇しました。「まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た」(4節)のです。この御使いたちが、彼女たちに伝えたことは、キリストが(1)墓にはもうおられない(2)よみがえられた(3)以前にされた復活の予告を思い出すようにということでした(5〜7節)。この驚くべき出来事に遭遇した婦人たちは、“そこから逃げ去った”“震え上がり”“気も転倒して”とマルコ(15章8節)が記しているように、キリストの復活を全く受けとめられなかったのです。

次に男の弟子たち。この人たちは婦人たち以上にキリストの復活を期待していませんでした。複数の婦人たちから一部始終の報告を受けたにも関わらず、一笑に付したのでした。「ところが弟子たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった」(11節)。数年の間苦楽を共にしてきた仲間の証言を信用できないほどに、彼らにとっては主イエスの復活は有り得ない出来事として受け止められたのです。別の言い方をすれば、弟子たちは、主イエスが死んだという事実に、すべての希望が打ち砕かれていたとも言えます。ここに希望を持つことを諦めた人の姿を見ることができます。ですから、余計に婦人たちの話が「たわごと」(精神錯乱のうわごとを表す医学用語)にしか聞こえなかったのでした。

この復活の記事全体を通して、肝心のイエス様がなかなか現われないことと、目撃者たちが瞬時に信じたのではないということに気付かされます。最初から、復活されたイエス様が現われていれば、戸惑いや疑いもなく、瞬時に信じられたと思うのですが・・・。しかし、主イエスの復活は、目撃者たちの戸惑いや恐れ、不信仰のなかで受け止められ、段階を経て確信へと変わっていったのです。

このルカ24章からの主イエスの復活に関する出来事は、最初の目撃者たちが、どのようにしてイエス様の復活を受け止め、事実として認めるようになっていったかを“追体験(他人が体験した事柄を、解釈作業などを通して自分の体験として再現すること)”出来るように記されているのです。神様は、確かに私たちに復活を事実として認めさせて下さる方ですが、私たちの側にも何かを期待しておられます。それは、人間の理解をはるかに超えた神のわざが実際に成されるという、神の約束のことばに基づいた“信仰”です。

キリストの復活という大逆転は一瞬でした。しかし弟子たちの信仰の大逆転は、除々に成されていきました。同じように、私たちも弟子たちが体験したことを、自分の体験として再現することを通して、この“大逆転”を信じる信仰を持つことができるようになるのです。ご一緒に追体験していきましょう!

 
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