検見川聖書バプテスト教会
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  丘の上の十字架の衝撃  

2006年4月23日(日) 礼拝説教要旨
説教者:高田 厚 師

聖書箇所:ルカの福音書23章44〜46節

[44]そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。 [45]太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。 [46]イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

説教要旨

死と絶望の象徴である十字架。この十字架に架けられ、今まさに息を引き取られようとされているイエス・キリストの姿を見るときに、私たちはここで一体何が起きたと思うでしょうか。周りにいた誰一人として真実の意味を見出していなかったその死の間際、二つのしるしがあったことが聖書に記されています。

まず死に先立つ出来事として自然界に大異変が起こりました。「全地が暗くなって・・・太陽は光を失った」(44〜45節)。太陽が光を失う・・・およそ起こりえないことが原因で、3時間暗黒が地を覆ったというのです。

このしるしには、人が神と断絶した状態には何の希望(光)もないという霊的な意味が含まれています。この直後発せられた嘆きの叫び「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27章46節)は、主イエスが神に見捨てられ、助けの一切無い状況にいることを強く感じさせます。

神との関係が完全に切れた状態には、何の希望も見出すことができないのです。ここには人間の罪によってもたらされる恐ろしい有様(地獄における永遠の苦しみ)が描写されているだけでなく、主イエスが私たちの代わりにこの神の審き(Uコリント5章10節)を受けてくださったという事実が明らかにされています。キリストは私たちを愛するがゆえに、ご自分の命を代価として、全ての人が負うべき罪の負債を払ってくださったのです。「神は罪を知らない方を私たちの代わりに罪とされました(Uコリント5章20節)」

次に、エルサレム神殿に大きな異変が起こりました。「また、神殿の幕は真二つに裂けた」(45節)。神殿の聖所と至聖所とを分けていた見事な色模様の幕・・・ユダヤ人の誇りとしてものが、上から下まで裂けたというのです。ユダヤ人にとっては神殿崩壊の前兆とも映ったであろうこの驚くべき出来事は、モーセ以来続けられていた神殿(幕屋)の役割の終りを意味するだけでなく(ヘブル9章1〜12節)、主イエスによって、神への新しい道が開かれることを象徴する出来事でありました。「こういうわけで、兄弟たち。私たちは主イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」(ヘブル10章19〜20節)

以上のようなしるしが起こった後、主イエスは静かに息を引き取られました。そこには、他の囚人のような抗議も号泣も、反抗もあきらめもなく、「父よ、わが霊を御手に委ねます」(46節)との平安に満ちたことばが残されました。この死は、妨げる者たち(悪魔の誘惑・ひきとめる弟子達)に負けることなく、ご自分の使命を完全に全うされた勝利と満足の死であったのです。主イエスは、敗北と挫折のうちに殺されたのではなく、自分から進んで息を引き取られたのです。

ここに丘の上の十字架の衝撃があります。誰もこの十字架で死なれた御方に神を見出すことができない状況の中で、主イエスは人知れず救いの業を成し遂げられたのです。預言者イザヤのことばが私たちの心に突き刺さります。「しいたげとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。」(イザヤ53章8節)

 
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